福岡中洲の老舗料亭の女将である一般女性と再婚された王貞治氏【 78 】だが、初婚の前妻は、いったい誰なのか?
【 当記事ページの目次 】
前の記事では再婚相手となる一般女性【 60 】との新居は、どこか?という記事を、したためた。
今回は王氏が「 再婚 」ということなので、初婚はされているわけである。
初婚、つまり前妻は誰か?ということになるが、まずもって離婚された訳ではないという前提がある。
詳しくは後ほど記すが前妻は不幸にも胃がんの為に2001年に57歳で逝去されているがその、お相手とは?
王貞治氏は1966年1月6日に紙の卸問屋、小八重商事( 大興実業 )小八重正社長の長女、恭子氏( 当時21歳 )と婚約し、結婚。
王貞治氏との間に三女を、もうける。
スポーツキャスターの王理恵氏【 48 】は王貞治氏と王恭子氏の次女である。
つまり、王恭子氏が王貞治氏の前妻である。
王貞治氏の前妻の故・王恭子氏【 57歳没 】。
王氏と前妻との仲睦まじい2ショット画像がある。↓
婚約発表の記者会見をする王貞治選手と小八重恭子さん(東京・千代田区のホテル・ニューオータニ)(1966年01月06日)【時事通信社】
若き日の王選手と一緒に写っている画像の嫁の恭子婦人は、まるでモデルのような方である。
今となっては、大変に貴重な2ショット画像だ♪
では、1966年に御結婚された王貞治氏と嫁の故・恭子氏との「 馴れ初め 」は何で有ったのか?
前妻との出会いの、きっかけは「 雨宿り 」だ。
女房の恭子とは、巨人に入団した1959年に知り合いました。
後楽園の試合に行く途中、たまたま雨が降ってきて雨宿りしていたら、友人とサイクリングをしていた女房も雨宿りに来ましてね。
では、前妻の恭子氏は何故そこに友人とサイクリングに来ていたのだろうか?
当時よく練習を見に来ていた女子学生2人組のうちの一人が前妻の恭子夫人だったのだ。^^
( 前 )妻へのプロポーズの言葉は、「 ドドンパはお好きですか? 」だったという。
上記引用の「 ドドンパ 」とは、日本の音楽ジャンルの1つであるという。
冒頭でも王貞治氏の前妻の恭子氏が逝去された原因は、胃がんだと申し上げたが、亡くなられた場所は、どこなのか?
王貞治( 当時ダイエー )2001年12月11日、東京都内の病院で恭子夫人が胃がんのために57歳で逝去。
なお、詳しい病院名までは報じられていない。
紙の卸問屋、小八重商事( 大興実業 )小八重正社長の令嬢で王貞治氏の前妻だった故・恭子夫人の学歴は、どのような学校をお出に、なっているのだろうか?
以下に一覧にして、まとめてみた。
すべてが山脇学園で固めているが、じつは2008年5月12日に閉校となっている。
所在地は東京都港区で、奇しくも王貞治氏と再婚相手が住まわれている新居でもある高級賃貸マンションがある場所と同じ区内である。
しかし、78歳にして再婚とは恐れ入る。
同じくタレントの清水國明氏も67歳にして4度目の結婚をされた先日のニュースにも驚いたが、やはりモテる男は何歳になってもモテるものである。
王選手には今後もプロ野球界の重鎮として後進の育成に余念が無いに違いない。
王貞治氏の再婚は、不肖この私めに取りホームラン級のニュースであったのは言うまでもない。
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