天下の悪法と呼ばれる「 生類憐れみの令 」を出したのが、徳川幕府第5代将軍徳川綱吉【 享年64 】で御触書( おふれがき )の発布数は130以上にも上る。
「 お犬様 」とも呼ばれた徳川綱吉公が出した生類憐れみの令は江戸の元禄期の貞享2年【 1685年 】7月14日から宝永六年【 1809年 】1月に廃止されるまで24年間の長きに渡って生き続けた。
この生類憐れみの令の真実は、どこにあるのだろうか?
動物に対して生命を大切にする訓示的な生類憐れみの令は「 動物の生命を、みだりに奪ってはならない 」とするものだが、実際には違反者に対して、厳しい沙汰が下った。
で、ここからが本稿の主題なのだが、この生類憐れみの令は綱吉公オリジナルのものなのか?
まさに、ここが「 生類憐れみの令の真実 」に、かかる部分なのだが、綱吉公オリジナルのものでは無いらしい。
発案者は綱吉公の母親である桂昌院( けいしょういん )【 79歳没 】が寵愛していたとされる茨城県筑波山知足院住職の隆光【 75歳没 】から入れ知恵された というのが1つ。
上記の隆光からの入れ知恵の内容とは?
それは、天和三年( 1683年 )に世子を亡くしてから
綱吉が嗣子に恵まれないのは、前世で( 生命を奪う行い )
をした報いであり、戌年生まれの綱吉は特に犬を大切に
するように、という大僧正隆光の進言を容れたというものです。
つまり、生類憐れみの令の真実とは、綱吉公の母親と交際していた坊主の隆光僧が「 跡継ぎに恵まれない原因は前世( 生まれる前に生きていた人生 )で生命を奪う事をしていたのが災いの原因だから、この因縁を消滅させる為にも犬を大切にしなさい 」とのアドバイスから作られたということだったのだ。
ちまたで言われているのは綱吉公が戌年生まれだから、というアドバイスだ。
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ところで、「 跡継ぎに恵まれない 」と言われたが、じつは側室との間に自身の幼年時代の名前と同じ男子の「 徳松 」と、女子の鶴姫という子供がいた。
ところが徳松は幼少時代に5歳で早世して亡くなっている。
実際に前世があるのか無いのかは置いといて、結果的に生類憐れみの令が奏功して徳川綱吉公が、跡継ぎに恵まれることは無かった。
結果的に6代将軍は養子の家宣( いえのぶ )に、なったと言うことだ。
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