日大アメフト部のラフプレー反則タックル問題で2018年5月23日の開かれた会見で司会者を務められた日本大学企画広報部職員で顧問の米倉久邦氏の年齢と生年月日は、いつなのかが分かった。
23日の夜8時から行なわれた記者会見場で直接の質疑応答を行なった日大アメフト部の内田正人・前監督【 62 】と井上奨コーチの2人以外に意外な人物がネット上で話題に...
その人物こそが、日大の企画広報部の顧問をされている米倉邦久( よねくら ひさくに )氏だ。
下の米倉邦久氏が発言されているYouTube動画はハウリングの雑音が大きいので音量に注意!↓
米倉氏の生年月日は1942年12月25日生まれだ。
したがって米倉氏の現在の年齢は75歳である。
1942年12月25日のクリスマス生まれの米倉邦久氏は、誕生日とクリスマスプレゼントを一緒に、され続けて来たのだろうか?
それは分からないが、米倉氏の学歴と経歴の年月日は以下の一覧になる。↓
年月 | 主な学歴と経歴の内容 |
---|---|
1968年 | 早稲田大学大学院経営学修士終了 |
1968年 | 共同通信社に入社 |
1979年 | ワシントン支局に勤務 |
1981年~ | 大阪経済部長⇒東京本社経済部長⇒編集局次長⇒ニュースセンター長⇒論説委員長⇒定年退職 |
2004年9月 | 著作「 そうだ山へ登ろう! 」を出版 |
2004年10月 | 著作「 森のチカラ 」を出版 |
2004年12月 | 日本百名山を踏破 |
2006年4月 | 著作「 六十歳から百名山 」を出版 |
2010年6月 | 著作「 森をゆく『 人と森のかかわり 』を訪ねて 」を出版 |
2015年7月 | 著作「 日本の森列伝:自然と人が織りなす物語 」を出版 |
上記の経歴の他に、共同通信を定年で退職されから 日本大学に入るまで、フリーランスとして 活躍されていた時期もあった。
日大が行った会見の司会者をされた米倉邦久氏の年齢と生年月日および学歴と経歴の年月は以上であるが、なぜ米倉氏と記者は口論したのか?
「 質問は1社に付き1つにして下さい! 」
「 時間になりましたので会見は終わります 」
という日大会見の司会者の米倉邦久氏の発言に「 もっと質問させて下さい! 」と食い下がる記者との間でバトルになったことが波紋を呼んだ。
報道番組やネット上では司会役の米倉邦久氏に非難が集中しているようだが、記者たちもいきり立ってキレ気味だった理由は、今回の事件の深刻さが物語っている。
後日の会見でに拠れば自分の社や番組ごとに質問している「 画 」が撮りたいから幾つもの社で同じ質問がなされる事にイライラしていたと日大の大塚吉兵衛学長【 75 】が語った。↓
上記の理由も記者達の追求が厳しい原因なのに、さらには井上コーチと内田前監督が真相を話さない姿勢にも納得できない感情が有ったのだろう。
しかし上記2つの理由の他に加えて、更に記者たちの怒りゲージをマックスまで上げる極め付きの理由が有ったことをフジテレビ「 バイキング 」のスタッフが明かした!
フジテレビの方に日本大学から記者会見の連絡が来た当日の夜7時10分頃だったという。
場所も知らされておらず、その時間からタクシーを飛ばして会見現場に直行したというが、これでは記者たちもたまったものでは、ないだろう。
以上が日大の会見の司会者をされてネット上で話題をさらった日大企画広報部顧問の米倉邦久氏の年齢と生年月日および学歴と経歴の年月である。
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