択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の北方領土は、
日本が固有領土を主張するが二島返還を提案してきた
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領【 66 】の
雲行きが怪しくなる中、「 北方領土の日 」が、
2019年2月7日に迫っている。
2月7日に制定されている「 北方領土の日 」とは一体、どういう意味なのか?
1855年2月7日,日本とロシアとの間で
「 日魯通好条約 」が調印され択捉島とウルップ島の間に
国境が確認されました。
それ以降も,択捉島,国後島,色丹島及び
歯舞群島からなる北方四島は,一度も
他国の領土となったことがない,日本固有の領土です。
しかし,1945年に北方四島がソ連に占領されて以降,
今日に至るまでソ連・ロシアによる不法占拠が続いています。
政府、北方領土問題に対する国民の
皆様の関心と理解をさらに深め、
返還運動のいっそうの推進を図るため、
「 日魯通好条約 」が調印された2月7日を
「 北方領土の日 」に制定しました。
1855年2月7日に日本とロシア帝国が締結した日魯通好条約は日露和親条約( 下田条約 )とも呼ばれ、択捉島と得撫島の間を国境線とした。
つまり、日露和親条約( 下田条約 )を結んだ1855年の2月7日を「 北方領土の日 」と定めたのは外務省である。
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2月7日を「 北方領土の日 」として制定されたのは、いつなのか?
内閣府の公式ホームページで北方領土の日が、いつ制定されたのかが明記されている。
このような各方面からの強い要望を受け、
政府はさらに広く関係各層の意見を聞いた上で、
昭和56年( 1981年 )1月6日の閣議了解により、2月7日を「 北方領土の日 」として設定しました。
つまり、1981年1月6日の閣議了解で北方領土の日が正式に2月7日であると、決まったのである。
『北方領土4島をGoogle地図でどこか?を表示する!』https://t.co/QQgMRC8zjb
— ついっぷる最新速報瓦版 (@TrendNews_44) 2018年11月15日
北方領土問題が、ここまでこじれている理由は、元は日本固有の領土であった択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の4島を第二次世界大戦が終わった後にロシアが侵攻して占領したからである。
8月28日から9月1日までに、ソ連軍は
北方領土の択捉・国後・色丹島を占領した。
( 中略 )9月3日から5日にかけて
ソ連軍は歯舞群島を占領した。
太平洋戦争終戦直前の1945年の8月8日に当時のソ連は「 対日宣戦布告 」、日本時間で翌9日の0時に総攻撃を開始した。
日ソ中立条約に関しては、1945年の4月5日にソ連側が「 失効の通告 」を日本側にしているが、日本は翌年の1946年までは更新されるものと思い込んでおり、かつソ連側は「 即時に破棄の通告だった 」と解釈の食い違いが見られる。
いずれにしても、太平洋戦争の終戦直後の1945年8月28日から、9月5日にかけて北方領土4島はソ連がわに占領されてしまったのだった。
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町を歩いていると、いわゆる右系の黒い車が「 北方領土返還! 」というデカ文字を掲げながら、走っているのは以上の理由が有るからだ。
ロシア国内の世論では、北方領土返還に反対する国民が大多数で93%だという。
ロシア政府系の世論調査機関「 全ロシア世論調査センター 」は、
北方領土の日本への引き渡しについて、
クリール諸島(北方領土と千島列島)の
ロシア人住民の93%が反対したとの調査結果を発表した。
賛成は3%だった。
上記の記事は2019年2月4日の今日のコンテンツだが、さすがに北方領土返還に反対が9割もいるのでは、プーチン大統領も配慮せざるを得ないだろう。
日本もロシアも2国間が納得が行く着地点を探るのは、容易なことではない。
「 シコタン色丹島の人口のみでなく、北方領土4島に2018年現在、日本人は1人も住んでいない件 」の記事を投稿しました https://t.co/o2H8fD5UoN #r_socialnews
— ついっぷる最新速報瓦版 (@TrendNews_44) 2018年11月15日
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