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日本ハムのハンカチ王子こと斎藤佑樹投手の2017年当時は? [野球選手]

斎藤佑樹投手

負け投手でも栗山英樹監督が評価

 日本ハムファイターズのハンカチ王子こと「 斎藤佑樹 」( さいとうゆうき )投手【 28 】が4月6日の北海道日本ハムファイターズ対,千葉ロッテマリーンズ戦で先発するも、負け投手となり五百六十八日も途絶えていた勝ち投手には残念ながら、なれなかった。

斎藤佑樹[ saitouyuki ]選手は6回の裏まで投げてノーアウトでファーボールを与えた所で降板し、 結果は5回( イニング )まで投げ切って6安打3失点で日ハムも1対5の点差で敗北を喫( きっ )した。

( 試合球場「 ZOZOマリンスタジアム 」千葉県千葉市美浜区美浜1 )

ここでYAHOO!ニュースの記事欄に6日の斎藤投手の試合成績に( 先発:5回0/3 )と言う記述が有るが、これは5回( イニング )を投げ切り、6回目を1アウトも取れずにピッチャー交代となった事から「 5回+( 6回裏の )3アウト中0アウトで降板 」という記述方法である。( と偉そうに解説しつつもググっている )

斎藤佑樹投手本人は「 6回の降板前の四球は悔しかった 」としながらも日本ハムの「 栗山英樹 」( くりやまひでき )監督【 55 】は「 方向性は間違っていなかったが今日は、もっと自チームが点数を取っていれば勝てた試合だった 」と斎藤投手に一定の評価を与えた。

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斎藤投手の2016年シーズン成績

 ウィキペディアに拠れば斎藤投手の所属する日本ハムファイターズは2016年の昨シーズンに4年ぶり7度目のリーグ優勝を達成し、日本シリーズでも4勝2敗で10年ぶりの日本一を達成している。

その後の祝賀会のビール掛けの時のインタビューで斎藤選手は「 今年はチームに殆ど貢献出来ずに... 」などと反省混じりに答えている。

厳し目な意見を言わせて頂くと、これはまさに斎藤選手本人の言う通りで2016年シーズンの登板数は11試合で成績は0勝1敗0セーブ、防御率は4.56という非常に残念な結果に終わっている。

投手の防御率が良いほど、その数字が小さくなるらしいが登板数が少ないとは言え、 一般的に4.56という数字は下手をすると2軍落ちでも不思議では無い数字だと言われている。

防御率は「( 自責点×9 )÷投球回 」という公式で求められるが、ざっくりと御説明申し上げるなれば「 その投手が9回( イニング )投げた時に何点取られるかの目安 」である。

確かに登板回数の少なさは有るものの今年はもっともっとチームに貢献して頂ければ、と思う次第である。

ちなみに早稲田大学から日本ハムにプロ入りした2011年のシーズン成績は登板19回で6勝6敗0セーブ、防御率は2.69という数字を残している。

昨年はオフに入った後に2011年にプロ入りした時から充てがわれていた背番号を「 18 」から、斎藤投手が高校球児時代に着けていた「 1 」番に変更されている。

これはWikipedia情報では「 最近、成績が低迷しているようだが、ここで高校球児時代に身に着けていた1番の背番号を背負って初心に帰ってみては 」と言った球団側のメッセージが隠されている、としている。

ハンカチ王子の由来[ saitouyuki ]

斎藤佑樹投手といえば「 ハンカチ王子 」というニックネームが有名だが、なぜこの名前が付いたのだろうか?

2006年の夏の甲子園大会で 早稲田実業に所属していた斎藤選手が 青いハンカチで汗を拭う姿が マスコミに取り上げられて以来 話題となり、この名前が広まった。

Wikipediaによれば、この話題の相乗効果で このハンカチを製造販売していたメーカーの株価が上がり、 ヤフオク!では定価四百円の同じハンカチが 最高価格、一万円にまで膨れ上がったという。

この当時「 ハニカミ王子 」という名前で有名だった スポーツ選手にプロゴルファーの石川遼選手【 25 】が居るが コチラのニックネームは2007年の流行語大賞に選ばれている。

今では逆転したライバルの田中将大投手

 今では海外のメジャーリーグで活躍する ニューヨーク・ヤンキース所属のマー君こと 「 田中将大 」( たなかまさひろ )投手【 28 】↓

斎藤佑樹投手とは因縁のライバルとも言うべき存在の 田中投手は今でこそシーズン24連勝( 2013年の楽天時代 )の 日本プロ野球最高記録保持者であり昨年の年俸も 単年で2,200万ドル( 約22億円 )と、 斎藤佑樹投手の今年の推定年俸2,000万円の 実に100倍以上だが、過去は違っていた。

斎藤選手が高校野球時代の早稲田実業 ( 東京都国分寺市 )に在籍していた時、 2005年には田中将大投手の在籍する駒大苫小牧 ( 北海道苫小牧市 )と対戦して投げ合い、 斎藤佑樹投手のチームが敗戦しているが、 この後の対決は尽( ことごと )く斎藤投手のチームが 圧倒する事と為る。

 ハンカチ王子の異名が付いた2006年の 夏の甲子園大会の決勝の再試合では田中将大投手率いる 駒沢苫小牧と対戦、斎藤自ら先発ピッチャーを志願し、 最後は田中選手を三振に打ち取って4-3で 早稲田実業を夏の甲子園初の優勝へと導いた。

 さらに追い打ちを掛けるが如く同年の秋に開催された 「 秋の“のじぎく”兵庫国体 」の決勝戦でも同じ 早稲田実業VS駒沢苫小牧の対戦カードとなり、ここでも 田中将大投手は斎藤佑樹投手にタイムリーヒットを浴びて、 これが決勝点となり0-1で田中将大選手のチーム、 駒沢苫小牧が準優勝に留まる苦汁を、なめた。

しかし、だからといって高校時代の田中選手の野球能力が斎藤選手に劣っていた訳では決して無い。

田中将大投手の高校通算成績は防御率1.31、奪三振数は458と言う驚異的な数字だが、打撃の方も通算本塁打を13とし、申し分の無い実力を発揮しているのは、あなたも御存知の通り。

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その翌年の2007年には佑ちゃんこと斎藤佑樹投手が「 早稲田大学 」の大学野球に進み、マー君こと田中将大投手はプロ野球の「 楽天 」に入団し、それぞれ袂( たもと )を分かっている。

そんな斎藤佑樹選手は2011年のプロ入り後、ライバルの田中投手に向けて次の様に語っている。

( 以下「 Wikipedia 」から引用 )↓

「 いつか追いついて、追い越したいと思っている。 勝負は今だけじゃないんだって心のどこかで思っている。 24歳、25歳の現時点ではピッチャーとしてマー君の方が上です。 でも、30歳になったら40歳になったらどうかと言う事は誰にも分からない。 その為の大学4年間だったと思っています。 そこには僕、けっこう自信を持ってるんです!」

( 引用ココまで )↑

なんか今日はウィキペディアからの引用ばっかで恐縮であるが、これが日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手の2017年である。

最後に私めの個人的な印象を述べさせて頂くと、高校時代から2人の野球の実力は五分五分で有ったがプロに転校してから明暗がクッキリと分かれてしまった、という感が否めない。


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