不肖この私めが少年時代の頃から大ファンの
歌手の「 吉川晃司 」氏【 52 】が平成30年7月豪雨で
被災した西日本地域でボランティア活動に
従事していると報じられているが、その
画像がツイッターに上がっていたのでシェア!
吉川晃司氏が豪雨で被災した地域で、ボランティア活動に勤しんでいることは、 ネット・ニュースでも報じられて居る通りだが、活動中の画像がツイッターで上げられていたのでシェア。( 画面に向かって左上 )↓
この男、黙って被災地に入り黙ってさっていった#吉川晃司 pic.twitter.com/yM9vbLHVhI
— もんP (@pokopenmon) 2018年8月6日
上の吉川氏の画像を上げられた「 もんP 」氏は、ローカルTV局のプロデューサーだとプロフィール欄に書き込みが。
吉川晃司氏は、2011年にも軽トラを借りて東日本大震災で被災した地区へ趣き、黙々とボランティア活動に従事されたのみ成らず、布袋寅泰氏【 56 】と共にCOMPLEXの復活チャリティー・ライブ「 日本一心 」も行っている。
スポンサードリンク
実は吉川晃司氏は、2011年にも東日本大震災が発生した時に被災地に入り、ボランティア活動に従事されている。
吉川氏が訪れたのは石巻市で当時、ボランティアをされていた。
2011年当時の吉川氏のボランティア活動の様子を伝えるネット・ニュースの内容は以下の通りだ。↓
「 吉川さんは防塵マスクにゴーグル姿で、
ひと目では吉川さんだとわからないほどでした。
あるボランティアチームと一緒に
行動していましたね 」( 目撃したボランティアの人 )
※女性セブン2011年5月5日号
東日本大震災当時、伝えられたニュースではボランティア活動の最中の寝泊まりは、上のツイッター画像に映っている軽トラの荷台で寝たと吉川氏本人が何かの取材記者の問に答えていた記事を見た記憶がある。
ちなみに吉川晃司氏が、ご結婚をされたのは被災地のボランティア活動を通じて、その後「 家族 」としての、あり方を考える様になったからだという。
スポンサードリンク
さて、吉川晃司氏の2018年の豪雨災害地と、2011年の東日本大震災の時のボランティア活動時の画像を、シェアさせて頂いたが、そもそも「 ボランティア 」とは、どういう意味なのか?
既に一般化したボランティア( 英: volunteer )という言葉は「 無償無給の奉仕活動 」だというイメージがあるが、実際には「 志願兵 」という意味をもつ。
ボランティアのイメージに近い「 奉仕活動 」はチャリティー( 英: charity )という。
ところで、ボランティア活動というと、最近話題なのが山口県の行方不明だった2才児の男の子を救出した大分県から来られた78歳のスーパーお爺ちゃんだろう。↓
行方不明になっていた2歳の男の子を見つけたのは、ボランティアで捜索にあたっていた 尾畠春夫さんです。尾畠さんが話してくれた言葉、その時の様子をショート動画にまとめました。 #尾畠春夫 さん #ニュースウオッチ9 #nw9 #nhk #栗原望 pic.twitter.com/T5ZUWDUgJh
— ニュースウオッチ9 (@nhk_nw9) 2018年8月15日
昔なにかの歌で「 コンピューターおばあちゃん 」というものが有ったが、78歳の、ボランティアお爺ちゃんは、普段から8キロのランニングで己を鍛えているのだという。
誠にストイックな普段の体力トレーニングを怠らないのは吉川晃司氏も同じだが、見習うべき部分である。
しかし吉川晃司氏の場合、「 密かに黙々とボランティア活動を 」されている点が更に評価される。
オープンに「 わたし、ボランティア活動してま~す♪ 」的な魅せ方をする有名人の方でも何もしない方々よりかは、はるかに御立派だが、なにかこう.......売名の匂いがして一歩、気持ちが引いてしまう。
こんな偉そうな事を書き綴っている不肖この私め自身も、西日本豪雨災害には寄付しか、させていただいていないが、スーパーお爺ちゃんや、吉川氏には頭が上がらない。
スポンサードリンク
吉川晃司氏の出身地は広島県なので、今回の被災では心を痛められて居ることだろう。
蚊帳の外から被災地で汗を流している方々に、やいのやいの評論される方々もいらっしゃるが、なんだかんだ言ってボランティア活動で実際に額に汗を流して従事されている方々が一番、尊いのだ。
▲ページの先頭へ
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
コメント 0