【 当記事ページの目次 】
歌手の西島三重子氏【 67 】のセカンド・シングル「 池上線♪ 」( ワーナーミュージック・ジャパン )が、1976年4月25日にリリースされ、今でも人気のロングセラー曲になっている。
西島三重子 池上線ほか |
ところで、池上線の曲の歌詞は、実話を元に造られているが、詩の全てが創作なしというわけでも無い。
著作権の問題から、当記事に歌詞の全文は貼れないので以下のリンクから、御覧いただけるようにした次第。↓
さて、さっそく判明した池上線の歌詞の場所から、特定していこう。
まずは「 駅を出た角のフルーツショップ 」の歌詞の意味と場所から。
池上線の曲の駅名に関しては、作詞家の佐藤順英氏も歌い手の西島氏も、ファンの方々から「 池上線の駅は、どこの駅ですか? 」と、しょっちゅう聞かれたらしい。
その都度、「 池上線の駅は、あなたの心の中にあります 」と答えていたと、西島三重子氏は以前にラジオ番組の中で語っていたし、佐藤氏も同様の答えをしていた。
だが、アッサリと「 角のフルーツショップは今はケンタッキーフライドチキンになっている 」と告白したのは佐藤順英氏であった。↓
上記のPDFファイルから、池上線の歌詞に出てくる「 駅を出た 」駅名は東京急行電鉄の池上駅【 住所:東京都大田区池上六丁目3番10号 】である事が判明したのである!
上のGoogleマップのストリートビューに写っている池上バスビルの1階にあるKFCことケンタッキーフライドチキンが池上線の歌詞に出てくる元「 フルーツショップ 」だったと、同曲を作詞した佐藤順英氏が証言している。
東急池上駅の改札口は北口の1ヶ所しか無いので、場所は完全に確定されるのだ。
上記の情報はココログの「 エムズの片割れ 」というブログを運営されている方が投稿された「 西島三重子の『 池上線 』の駅は『 池上駅 』~話は事実 」の記事に記載されている。
スポンサードリンク
では、上記のフルーツショップの後に続く「 商店街を通り抜け 」という歌詞は、どの場所を指しているのか?
池上線の歌詞に出てくる商店街とは、いわずもがな「 池上駅前通り商店街 」を差している。↓
上図のGoogleアースは池上駅の改札を背にして、左に曲がった瞬間の埋め込み画像である。
歌詞に出てくる商店街は、ここしか無い。
池上線の歌詞に出てくる歌詞の主人公の女性は、ここの池上駅前通り商店街を通り抜けたのである。
では、次の歌詞に出てくる「 踏切り渡った時だわね 」の踏切は、どこの場所に有るのだろうか?
池上線の歌詞では「 商店街を通り抜け踏切渡った時だわね 」と綴( つづ )られているが商店街を、通り抜けるだけでは東急池上線の踏切は、いつまで経っても渡れない。
実は、踏切りを渡るには歌詞には出てこない変形の十字路を一回、左に曲がる必要がある。
実は池上駅の、すぐ脇の車道にも踏切は有るが、こちらは商店街を抜ける事無く渡れる踏切なので場所が違う。
歌詞は、この踏切のシーンで「 涙あふれて後ろ姿さえ見れなかったの 」と続くが、池上線を作詞された佐藤順英氏がモデルにしたとされる大学時代に実際に交際していた女性は、踏切の先の住宅街の中に、お住まいなのである。
なぜ、そんな事が分かるのか?
( 以下「 池上線 」から引用 )↓
"商店街を抜けて、踏切を渡る。
歌詞の通り進んでいくと、住宅街が広がっていた。
住宅街を1時間も歩くと、その家は見つかった。"
( 引用ココまで・出典:朝日新聞/歌の旅人 )↑
池上線の歌詞に出てくる主人公は、全体的な文脈の流れを見ると、女性である。
しかし、実際には作詞家の佐藤順英氏の実体験を元に造った詞で、主人公は佐藤順英氏本人の実話をモデルにしている。
池上線の歌詞の意味は愛する男女が離れ離れになる心情を、池上線という舞台で綴っているが泣いているのは女性の方ではなく佐藤順英氏の方だったのである。
上記の内容は次章で詳しく記すが、自身の失恋の実話を元に曲を作るのは、まさに元BOØWYの氷室京介氏【 57 】が作詞された「 クラウディハート 」に通ずるものがある。
それにしても、池上線の歌詞に出てくるモデルになった女性の住所を探り当てて、突撃取材を敢行する朝日新聞のN記者も、なかなか凄い!
週刊文春の文春砲に負けず劣らず、恐るべき取材力で有るなと感心してしまった。
ちなみに、池上線の歌詞のモデルになった女性は、当時お勤めされていたメーカーの男性と27歳で、ご結婚され今では2人の息子も独立されていらっしゃるとの事。
そんな彼女が佐藤順英氏に、つぶやいたセリフは「 待っています 」では無かった。
スポンサードリンク
じつは池上線の歌詞を造った佐藤順英氏が大学時代に付き合っていた彼女と別れる破目になったのはハワイへの留学で離れ離れになったのがキッカケだったのだ。
いわゆる遠距離恋愛からの破局だ。
破局のあとに佐藤氏が再び元カノに会ったときの事が綴られている。
( 以下、前出の「 池上線 」から引用 )↓
"( 池上線の )ヒット後の27際の時、彼女を食事に誘った。
LPとシングル盤を渡そうとしたが、彼女は「 持っている 」と言った。"
( 引用ココまで・出典:朝日新聞/歌の旅人 )↑
池上線のシングルEPがリリースされたのは1976年だったが当時の池上線の車両は、どの様は形式のものが走っていたのであろうか?
池上線ふたたび〜New Version〜/池上線〜New Version〜 [ 西島三重子 ] |
池上線の歌詞の出だしは以下の内容だ。↓
( 以下「 池上線 」から引用 )↓
"「 古い電車のドアのそば( ~中略~ )すきま風に震えて 」"
( 引用ココまで・出典:Uta-Net )↑
すきま風が入る電車だった当時の東急電鉄。
むろん、いま走っている形式の電車は新式の電車だが、池上線がリリースされた当時は、どの様な形式の電車だったのだろうか?
( 以下「 池上線( 曲 ) 」から引用 )↓
"当時の池上線を走っていた車両はほとんどが戦前製の
デハ3450形を始めとした旧型車の初代3000系で、
車体の更新工事は始まっていたものの、
製造から40年以上が経過したものがあったことは確かである"
( 引用ココまで・出典:Wikipedia )↑
東急池上線3650形デハ3655〜雪が谷大塚にて - 電鉄急行 - Yahoo!ブログ https://t.co/3RMLx8aXGc #鉄道 #発掘写真 行き先板から幕式に更新された3000系列は継続使用の予定だったらしいが、当初計画では何時まで使う予定だったんだろう?
— 田都くん (@8637sakuya) 2017年4月30日
東急電鉄の旧車両、東急3000系電車【 初代 】は1989年の総リニューアルまで殆どが、戦前製の車両を使い続けていたとされる。
つまり、池上線のモデルになった車両は、曲がリリースされた1976年当時、走っていた東急電鉄の初代3000系車両の中の、いずれかの型式の車両だという事になる。
しかも、戦前に製造された車両であるなら、すきま風が車内に吹いてきたところで、なんら不思議は無い。
スポンサードリンク
以上が池上線の歌詞の意味と、その謎解きをした本稿になる。
結局、池上線という曲は名曲であるのは間違いないが改めて今聞くと、「 歌謡曲だなぁ~♪ 」と思う歌なのであった。(^O^)
▲ページの先頭へ
この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。
コメント 0