2018年の10月26日の夜、シリアで3年以上に渡って拘束されていた
戦場ジャーナリストの安田純平氏【 44 】が成田空港に無事に到着し、
嫁さんである深結( 元Myu )氏【 49 】と抱き合い、
3年4ヶ月ぶりの再開を喜んだ。
ともにフリージャーナリストである、安田純平氏と後藤健二( 本名:城後健二 )氏【 享年47 】が拘束された、シリア・アラブ共和国【 الجمهوريّة العربيّة السّوريّة 】は、外務省からも「 危険度レベル4:渡航禁止および退避勧告 」が出されている危険地域だ。
全土:レベル4:退避してください。渡航は止めてください。( 退避勧告 )( 継続 )
安田純平氏も、故・後藤健二氏も危険を承知で現地入りしたのである。
上の動画は無事に帰国した安田純平氏の様子を報じたSnakei-Newsのコンテンツ( 情報の内容 )だが、なにしろ低評価が凄まじい数で「 228 」もwwwww
それはそうと、無事に生きて帰ってこられた安田氏とは対象的に、命を奪われてしまった後藤健二氏との「 明暗 」を分けた理由は何だったのか?
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) 2010年9月7日
FNN-PRIMEに依れば、安田純平氏を拘束した組織はアルカイダ系の「 フッラース・ディーン 」という武装集団だと、報じている。
一方、今から4年前の2014年の10月頃に拘束された後藤健二氏は、最終的に命を奪われてしまう悲劇的な最期を遂げた。
後藤健二氏を拘束したのは、イスラム国【 ISILアイシル 】と呼ばれる武装組織で、日本政府に身代金2億ドルを要求してきた。
だが安倍政権は身代金の支払いを断固、拒否!
結果的に後藤健二氏は悲運の最期を迎える事となったのだが、つまり拘束された組織の違いが安田純平氏との明暗を分ける事になったのである。
しかしながら日本国内の世論は、無事に帰国できた安田純平氏に対して、インターネット上で炎上しているようだが、安田氏は過去にも何度も拘束された経緯がある。
だが、結果的に生きて帰還出来ているのだから、強運の持ち主で有ることは間違いないだろう。
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自己責任論が噴出している、ネット界隈だが今回、直接的に安田純平氏を救出したのは「 カタール政府 」である。
菅義偉官房長官【 69 】は、日本政府が身代金を支払った事実は無いと明言しているが、カタール政府が支払ったという確かな情報も無い。
一説には、シリアのイドリブ県から一刻も早く退避したい武装組織が、身代金を1,000万ドルから50万ドルまで減額した、との情報もあるが解放されたということは、おそらく何らかの形で要求された額を支払ったのだろうと考えられる。
陰謀論者はなぜシリアに行って直接取材しないのか?反政府側地域にいる人間が赤ん坊から年寄りまで全部外国人だなんて、証拠取ってきて事実で示せばいいのに。シリアの本書いている研究者も陰謀論者いるが、反政府側に接触している形跡が全くないんだが今時の研究は現場なんかどうでもいいわけか。
— 安田純平 (@YASUDAjumpei) 2015年6月20日
カタール政府が、そこまでして安田純平氏を救出した理由は、トルコ・イスタンブールのサウジアラビア総領事館で起きた「 ジャマル・カショギ記者 」【 享年59 】の悲劇で退出した企業を自国に呼び寄せたい狙いが有るからだとされる。
いずれにしても、捕まった武装勢力の体質の違いが後藤健二氏と安田純平氏の明暗を分けたのである。
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